マジぷれいす

主に持病の事を書いていますが、他にも自分の経験を通して色んな記事を書けていけたらいいなと思います。旦那と営むリラクのお店のことや、看板娘ネコのあんこさんのツイッターとも連動できたらと思ってます♪

プロフィールです。

名前 KAZ(カズミ)

出身地 東京都目黒区(18まで)

    東京都世田谷区(18以降)

    神奈川県(結婚により32から)

 

生活レベルは中の上だったので、3歳から強制的に冬と春にスキーに連れて行かれる。
(腕前は1級レベル)20歳以降は750ccのスノーモービルにも乗る。

 

小学生でスインミングスクールに入れられ、結果バタフライまで泳げるように。

 

子供の頃から女の子なのに男の子の物が欲しかった。
超合金ロボとか股の間にギアが付いてるチャリとかw
(全て母により排除される)

 

そのせいで女の子の遊びが全くわからない。(ゴム段?ゴム飛びとか?)

 

不器用すぎて折り紙とかできない。

 

でも料理は上手(自画自賛)で日本の家庭料理なら何でも作れる。

レシピがあれば何でも作れる。家事は基本的に好き。

 

子供の頃から豆電気自動車(今もあるの?)やゴーカートとかスリックカートなど
とにかく乗り物が大好き。

 

なので余計にすっかり長男か?というくらい男らしく育ち、(見た目はギャル)

16歳で原付免許を取得し、17歳で中型を取得し、18歳で普通自動取得。

原付はJOG-Z改、中型はCBR250RR、ZEPHER(雑誌に載った)、SKYWAVE400等に
乗り、クルマは70スープラ、親と割り勘で買った自家用車カルディナ

スープラじゃ雪山に行けないので実用的な車としてカルディナを購入。

 

スープラでは首都高環状線の内回りを毎週末走りに行っていた。
あまりに重たくてFRなので、峠は登り。下りは挑戦しただけ。(やっぱり無理だった)

 

25歳くらいの時に、ゲレンデにボーダーが現れだし、彼らはどこでも座るので、
「邪魔だなあ」と思っていたが、面白そうなので妹とブーツと板だけレンタルし、
ゲレンデに戻るが全く滑れなかったw

妹と他の人の滑り方を凝視してパクってなんとか滑れるように。

 

26歳頃にスノボのキャンプ(合宿)に女友達と参加。そこでプロボーダー林亜紀子と出会う。
その後仲良くなった亜紀子からスイスに一緒に行かないかと誘われて、
3ヶ月間スイスにスノボの為だけに滞在。


帰国後、日本の雪山を楽しむが、あっという間に雪がなくなり暇人に。

 

ある初夏のヒマな日に、20歳の頃つきあってた美容師の彼氏に髪の毛を切ってもらっている時に、
「壁登るヤツ知ってる?」と言われ、
「カラフルな石(ホールド)つかんで登るヤツでしょ?」
「やってみようよ」
「じゃあKAZが調べとく」

と、スマホがない時代なのでパソで調べて、ちょっと遠いけど初心者向きなお店をみつけたので2人でクルマで行ってみることになり、結果大ハマリ。

 

のちに元彼はクライミング界をあっという間に去り、KAZだけ取り残されるが
持ち前の男運でプロクライマーとつきあった事により事態は一変。

 

彼氏がビッグネームだったのと、ギャルが(見た目)クライミング界に入ってきた!
と話題の人になる。


ライミング自体が向いていたようで、実力もグングン伸びてコンペ(大会)で何回も表彰台に乗り、数回1位に。雑誌の特集の表紙にもなってみたり。

 

天然の岩ももちろんトライ。

クライマーの登竜門と言われる、東京の青梅にどっしり構える「忍者岩」の、
一番有名な課題「忍者返し」を、3回のくらいのトライであっさり完登。
(女性では十数名しか登っていない)と、知名度も実力も備わっていたので、
物品提供してくださるスポンサーもあり、セミプロに。

 

 

が、

 

 

なんと病に倒れる。「うつ病」である。

結婚の準備とオーバーワークが重なり、

睡眠障害→うつに発展。

 

それからほとんど登ることができなくなり、数々の栄光も過去のものとなり、
10年在籍したクライミング界を離れることに。プロとは離婚し、今に至る。

 

現在は東京都町田市でリラクゼーションサロンを今旦那と経営。
看板&店長ネコのあんこと共に日々営業。担当はアロマリンパトリートメント。
受付&お会計&アフタードリンクの用意などの雑用もこなしている。

 

自営業なのである程度時間に融通が利くので助かってます。

 

今後も病気のことや体験記など色々書いていきますのでよろしくお願いしまーす!

_〆(・ω・)